保育の心

「遊び」こそが重要な「学び」です

 

 「遊び」と聞くと、大人は「反・勉強」をイメージし、「遊びよりも勉強を」と遊びを軽視します。しかし、幼児期においては、実は「遊び」こそが大切です。竜ケ崎幼稚園は、子ども本来の成長を、無視したり・無理させたりするのではない保育を実践しています。「遊び」には、たくさんの「育ちの種」が含まれています。遊びに熱中することから、集中力が生まれます。充分に遊び込むことから、満足感と達成感が生まれます。遊びを工夫し広げていくことから、作り出す力が生まれ、友だちとの遊びを通して、協調性や社会性が生まれます。また、子どもは、大人と違って、頭だけでなく身体全体を使って学ぶことができます。だから、「遊び」こそが、子どもの成長の重要な要素なのです。

 竜ケ崎幼稚園では、一人ひとりの歩みを大切に受けとめます。また、子どもの発達を、誰かとの比較ではとらえません。発達の差は、「個性」でもあるからです。「みんなが上手なのに、なぜこの子は」では、「個」が殺されてしまいます。また、子ども一人ひとりの歩み・しぐさ・表現にはすべて意味があります。その意味をできるだけ正確に把握して、時に励まし、時に見守ることを大切にします。「その子に、今、何が必要なのか」を保育者は把握し、必要な時には援助をするのです。

 

 

小学校の領域にはあえて立ち入りません そして、「絵本」を大切にしています

 

 幼稚園では、小学校の領域に立ち入って文字や数字を教えることはしません。「形」を「言葉」に置き換える抽象的概念の理解は、6~7才になって可能と専門家は指摘します。むしろ、小学校の入学前の時期は、経験をたくさん積むことが大切なことだといわれます。経験を重ね親しんできた「形」が、「言葉」として書き表すことができる。この順番で発達をとげることが、何よりも大切です。この順番を変えてはなりません。

 むしろ、絵本の楽しさをたっぷりと味わう。美しい言葉を聞いて味わい、絵本の中に表現されているものを楽しむ。絵の中にあるものを、想像性を発揮して読み取りを楽しむ。楽しいお話しをたくさん聞く。その事が、文字や数字の習得のための必要な力となるのです。

 竜ケ崎幼稚園では普段自由にたっぷりと絵本にふれることができ、毎日クラスの時間(ホットタイム)に絵本の読み聞かせがあり、父母の会のボランティア活動の協力をいただいて絵本の貸し出しもしています。

 

 

心を育てよう

 

「心の知能指数」EQ = Emotional Intelligence Quotient(情動指数)

 社会的に成功を治めた方々に共通するのが、「心の知能指数」EQの高さだといわれます。自分の感情を上手に安定させたり、人の期待と自分のやりたいことのバランスをうまく取ったり、失敗したときにうまく切り抜けたりといった、自分の心を定常状態に保つ力が、これからの社会には求められます。もう、知能指数の時代ではありません。幼児期にこそ、心を育てなければならないのです。竜ケ崎幼稚園では、キリスト教主義に基づき、心の教育を大切にしています。

 

 

共に生きる

 

 竜ケ崎幼稚園では、園の教育方針に賛同し入園を願う方に入園を許可します。いわゆる、「しょうがい児」と呼ばれる方も同じです。

 「しょうがい児がいると手がかかって、子どもをみてもらえないのでは」という心配があるかも知れません。さて、「しょうがい」とは、その子がどんなに努力してもなお自分の力ではできない部分のことを指します。でも、実際にはどうでしょうか?入園から卒園まで、園にいる間中ずっと、「手がかかっている」のでしょうか?そうではありません。幼稚園に慣れるまでに時間が多少余計にかかったり、トイレや食事などで介助を必要とすることはあります。でも、それだけです。実際の毎日では、徐々に保育者の手を離れ、友だちの中に入り、自分の遊びの世界を作りあげていきます。

 むしろ、「手がかかる」という意味においては、子どもは最初は誰でも手がかかるのです。ぐずったり、泣いたり、不安定な子どもがいたら、しょうがいがあってもなくても関係なく、保育者は「すべての子ども」に心をそそぎます。安定して、遊びの世界に入り込んでいるのに、不必要な手のかけかたをしないだけのことです。

 また、子どもは、泣いて当然だし、ぐずって当然です。それが、子どもの心の表現ですし、心の成長の基盤なのです。どうも、「ぐずること、泣くこと」に神経質になりすぎてはいないでしょうか?「ぐずってはいけない、泣いてはいけない」と決め付けてはいないでしょうか?だから、「しょうがい児は余計に手がかかる」と受け止めてしまうのではと思います。でも、それは、区別であり、差別です。もしかしたら、しょうがい児にだけではなく、私たち同士が区別し合い、差別し合っているのかもしれません。「うちの子は、○○ちゃんみたいではない」と…。この考えは、実は、しょうがい児がいなくても成り立つ考えです。一定の枠からはみ出す子を、すべて問題とする考え方だからです。

 大切なことは、私たちが互いに違いを受けとめあって、「共に生きる」ことだと思います。違いを認め合い、互いに支え合ったり協力し合って生きることが尊いことです。それを、子どもたちは「共に生きる保育」の中で、生活を通して自然に学びます。

 もう一つは、「しょうがい児はいつも、助けてあげなくてはならない存在」という誤った発想です。そうではありません。互いに教え合い、支え合う関係として、しょうがい児だって支えることをしています。対等の友だち関係の中で、すべての子どもたちは生きているのです。

 「共に生きる保育」の中で、子どもたち同士は互いに沢山のことを学び合います。優しさとたくましさを、自然に兼ね備えて成長します。ですから、「手がかかる」という一言でしょうがい児を考えることは、「人間」を考えるうえで、大変危険な発想なのです。  私たちは、しょうがいがあるとされる子の「しょうがい」は、「しょうがい」ではなく「個性」だと思います。子どもたちが互いに豊かになるための、互いが発揮する個性の一つです。ですから、一人のしょうがい児に一人の保育者をとは考えません。子どもたちは「対等な関係」の中で、互いを仲間として認め合いますから、しょうがいをもつ子を含めた子ども集団を、担任とバックアップ教諭とで導いていく体勢をとっています。

 

 

チームティーチング制度の充実

 

 幼稚園時代に(学校でもそうですが)、どんな先生と出会うのかは大きな影響をもっています。ですから、竜ケ崎幼稚園の保育者は、いつも精一杯に保育にあたり、絶えず子どもを第一として心を砕きたいと願っています。竜ケ崎幼稚園の保育者は、どの幼稚園の保育者よりも、子どもを愛することにおいて一番の誇りをもって保育にあたりたいと決意しています。そんな保育者との出会いの関係を、子どもたちの成長の基礎としています。

 基本的に3才~5才児は、担任とバックアップ教諭でクラス運営にあたります。しょうがいのある園児が複数のクラスは、それに対応してバックアップ教諭も加配としています。